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酒と泪と男と女(ライヴ) ちあきなおみ ChiakiNaomi
酒と泪と男と女(ライヴ) ちあきなおみ ChiakiNaomi
酒と泪と男と女 ちあきなおみ ChiakiNaomi コロムビアのオーディションを受け保留となり、作曲家鈴木淳の元で1年4ヶ月レッスンを受け、1969年に「雨に濡れた慕情」で念願の歌手デビュー。1970年に「四つのお願い」がヒットし、人気歌手となる。同年『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場、以降1977年まで8回連続出場。その後、「紅とんぼ」のヒットで1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』に11年ぶりの出場を果たした。 「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」の頃はいわゆるお色気アイドル路線にて活躍。『元祖どっきりカメラ』や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』など、歌手でありながら体当たりな仕事もこなした。 1972年、代表曲となる「喝采」が第14回日本レコード大賞(レコ大)を受賞し、その年の年末から翌年にかけてオリコン集計で80万枚を売り上げる大ヒットとなる。この曲は当時ちあきの実体験を元にして作詞されたという触れ込みでプロモーションされたが、実は全くのフィクションであった。実際には前座歌手時代に兄の様に慕っていた若手役者が急死した体験を持ち、それと歌詞の内容が偶然似ていたために、「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったのだといわれている。 レコード大賞受賞後も1973年に「夜間飛行」、1974年に「円舞曲」などのポップス系ヒット曲を発表する一方、前座歌手時代に演歌のレッスンを受けていたこともあり、その歌唱法を活かして1975年に「さだめ川」、1976年に「酒場川」「矢切の渡し(酒場川のB面曲として発表)」、1988年には「紅とんぼ」など船村徹作曲による演歌系作品も歌った。またニューミュージックのアーティストに楽曲提供を受け、1977年に中島みゆきの「ルージュ」や友川かずきの「夜へ急ぐ人」、1988年には飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングした。さらに1980年代前半にはアルバム『それぞれのテーブル』でシャンソン、『THREE HUNDRED CLUB』ではスタンダードジャズ、そしてポルトガル民謡のファドを歌ったアルバム『待夢』を発表するなど洋楽のカバーアルバムを発表。 1976年2月、テレビドラマ『大都会 闘いの日々』第8話に、「俺の愛した、ちあきなおみ」(脚本倉本聰、監督村川透)というサブタイトルをもつ作品が制作、放映された。実在する現役歌手がサブタイトルにフィーチャーされること自体異例であり、ちあきおよび彼女の楽曲「喝采」がドラマの内容に深く関わっているものであった。 1978年の結婚(後述)以降は歌手としてのテレビ出演の機会が減ったが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行われた。また、本人の演劇性やコミカルな面を活かし、女優やタレントとしての才能も買われ、テレビでの活躍の場を広げた。1987年からの大日本除虫菊「タンスにゴン」のCMシリーズでは、癖のある主婦を好演(怪演)。1990年の自転車に乗った共演者・美川憲一に「もっと端っこ歩きなさいよ」と注意されるバージョンは話題を呼び、美川の再ブレイクのきっかけにもなった。 水原弘のオリジナル曲をカバーし1991年に発表された「黄昏のビギン」は同年(京成電鉄・スカイライナー)と1999年 - 2003年(ネスカフェ・プレジデント)に、戦後間もない頃に小畑実が歌った曲をカバーした「星影の小径」は1986年(AGFマキシム・レギューラーコーヒー)、1992年(Audi)、2006年(キリンビバレッジ「実感」)にテレビCMに使われた。 1978年に俳優の郷鍈治と結婚したが、1992年に死別。郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで、公の場所にも全く姿を現していない。カテゴリー :Music
投稿日 :2009-10-29
更新日 :2009-11-16
投稿者 :poser998
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タグ :酒と泪と男と女, ちあきなおみ, ChiakiNaomi
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